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「自信を持て!」ってよく言われるけど具体的にどういうこと?【氷上のエンペラーあり】

「自信を持て!」ってよく言われるけど具体的にどういうこと?【氷上のエンペラーあり】

2019/07/08

こんにちは!今回の話題は「自信」についてです。
「どんな時でも自分に自信を持て!」「自信もって望めば絶対大丈夫だ!」
ドラマでも漫画でも、世の中にはこんな言葉が溢れていますね。「自信を持つ事は良い事である。」という風潮がある事を感じている方はきっと少なくないでしょう。
同時に「自信を持てって言われてもそんな事無理だよ!」と思った経験をした事がある方もけして少なくはないのではないかと推察します。では「自信を持つ」とはどういうことなのか。
「自信を持っている人」の例を挙げて考えてみたいと思います。例えば私が「羽生結弦選手のハイドロブレーディング(姿勢を低く、かつほとんど水平に傾けた状態で滑る、羽生選手の得意としている技)なんて簡単だよ!俺でも出来るよ!自信あるよ!」と言ったとしましょう。私にはスケートの経験はほぼありません。また、昔からけして運動が出来る方ではありませんでした。それだけではあきたらず体重は70kg、立派に育った大きなお腹をたずさえた羽生結弦選手の真逆に位置するような男です。

それを聞いた皆さんは一人残らず「おいおいどんな算段を持ってそんな事言ってるんだ。持つのはその立派な三段腹だけにしてくれよHAHAHAHAHA」と思う事でしょう。この状況では「自信を持つのは良い事だ」なんて、とても言えませんよね。

でも、仮に私が幼少期からフィギュアスケートに没頭しており、誰にも負けないトレーニングを積んでいて、確かな技術があって全人類から応援されていて「氷上のエンペラー」と呼ばれている超絶期待の選手だとしたらどうでしょう。(仮定の話なので何でもありです。妄想世界において私は無敵です。)

「きっとできると自分を信じて、ハイドロブレーディングに挑戦したいと思います。」と言ったとします。

初挑戦だろうがなんだろうが、「こんなに自信があるんだから、きっと出来るだろう」そんな気がしてきますよね。しっかりとした実力があり、それありきの自信であれば誰も疑う事はないでしょう。自信を持つには、それを裏付ける実力が必要という事です。だからこそ、努力なくして自信はうまれません。
特に受験勉強においては「試験」という非常に分かりやすい指標があるので、自分の実力を客観視して、自信を持っていい実力があるかどうかを判断する機会は多く訪れると言っていいでしょう。(厳密に言うと点数=実力などという事は全くないのですが、長くなるのでこの話はまた別に記事にしようと思います。)

さて、このままいくと「実力があれば自信を持つ事が出来る」という結論に達してしまいますね。裏をとると「実力がないなら自信を持つ事が出来ない」ということに。先人達の「どんな時でも自信を持て」という教えが間違っていたかのような結論になってしまいます。人生という道を歩む多くの人々がその道中で「どんな時でも自信を持った方が良い」と感じたのに、その結論が間違っている?そんなことありえるでしょうか。いや、ありえない。(反語)

では実力がないのに自信がある、とはどういう状態が考えられるでしょうか。
私なりに考えてみました。

「実力に対して自信が持てないなら、実力以外の物に対して自信を持てば良いのではないだろうか」それが私が導いた1つの結論です。

そもそも世の中に存在する「実力」というものは、そのほとんどが数値化できないものばかりです。だからこそ自分を客観視して冷静にジャッジをする必要があるのです。
例えばあるミッションに対して「このミッションはクリアできるな」「難しいミッションだけど、きっとクリア出来るだろう」そう思えたなら自信を持っていいでしょう。自分を客観視した結果実力が備わっていると判断出来ているなら、自信を持たないことは実力がない人に失礼とすらいえるかもしれません。
ですが、「こんなミッションやったことないし突破方法も皆目見当もつかないけど俺なら出来る気がする!やったるぞ!」これでは困りますよね。

少し言い方を変えてみましょう。
「こんなミッションやったことないし、今はまだ突破方法も皆目見当もつかないけどしっかりと勉強して準備すれば必ず出来るようになるはず!やったるぞ!」

これならいかがでしょうか。先の文章のような不安感は和らいだように思います。1つ目の文と2つ目の文での大きな違いは、自信をもつ対象の違いです。
どちらの文も、自分の実力が不足している事に対する認識は変わりません。1つ目の文は存在しない実力に無理矢理自信を持とうとしているのに対し、2つ目の文は自分が持つ可能性に自信を持っていますよね。

未来の可能性は誰にも否定出来ません。
「努力さえすれば、俺にだって必ず出来るようになる。」といったように、未来の可能性に対して自信を持つ事は、誰からも批判されるいわれはない事のように思えます。

「自分に自信を持て」という先人達は、もしかしたらこれを言いたかったのではないでしょうか。実力がある人は実力に、実力がない人は自らの可能性に。そう考えると、いつ何時でも自分の心の中に確かな自信を持っていられるような気がしますよね。

ここまで読んでくださった方なら、人間誰でも自信を持つ事が出来る。ということがご理解いただけたのではないでしょうか。(もし、「自分が努力したってうまくいくわけない。可能性に自信なんて持てないよ。」という方はDREAMS COME TRUEさんの「何度でも」という歌を何度でも聴いてください。1万回やってへとへとになっても1万1回目は何か変わるかもしれないんです。ストレート歌詞が胸に刺さるとんでもない名曲です。)

以上、私なりに「自信を持つ」という事について考えてみました。
皆さんも自分に自信を持って、強く願いましょう。

「自分も必ず氷上のエンペラーになるぞ。」と。

 

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こんにちは!今回の話題は「自信」についてです。
「どんな時でも自分に自信を持て!」「自信もって望めば絶対大丈夫だ!」
ドラマでも漫画でも、世の中にはこんな言葉が溢れていますね。「自信を持つ事は良い事である。」という風潮がある事を感じている方はきっと少なくないでしょう。
同時に「自信を持てって言われてもそんな事無理だよ!」と思った経験をした事がある方もけして少なくはないのではないかと推察します。では「自信を持つ」とはどういうことなのか。
「自信を持っている人」の例を挙げて考えてみたいと思います。例えば私が「羽生結弦選手のハイドロブレーディング(姿勢を低く、かつほとんど水平に傾けた状態で滑る、羽生選手の得意としている技)なんて簡単だよ!俺でも出来るよ!自信あるよ!」と言ったとしましょう。私にはスケートの経験はほぼありません。また、昔からけして運動が出来る方ではありませんでした。それだけではあきたらず体重は70kg、立派に育った大きなお腹をたずさえた羽生結弦選手の真逆に位置するような男です。

それを聞いた皆さんは一人残らず「おいおいどんな算段を持ってそんな事言ってるんだ。持つのはその立派な三段腹だけにしてくれよHAHAHAHAHA」と思う事でしょう。この状況では「自信を持つのは良い事だ」なんて、とても言えませんよね。

でも、仮に私が幼少期からフィギュアスケートに没頭しており、誰にも負けないトレーニングを積んでいて、確かな技術があって全人類から応援されていて「氷上のエンペラー」と呼ばれている超絶期待の選手だとしたらどうでしょう。(仮定の話なので何でもありです。妄想世界において私は無敵です。)

「きっとできると自分を信じて、ハイドロブレーディングに挑戦したいと思います。」と言ったとします。

初挑戦だろうがなんだろうが、「こんなに自信があるんだから、きっと出来るだろう」そんな気がしてきますよね。しっかりとした実力があり、それありきの自信であれば誰も疑う事はないでしょう。自信を持つには、それを裏付ける実力が必要という事です。だからこそ、努力なくして自信はうまれません。
特に受験勉強においては「試験」という非常に分かりやすい指標があるので、自分の実力を客観視して、自信を持っていい実力があるかどうかを判断する機会は多く訪れると言っていいでしょう。(厳密に言うと点数=実力などという事は全くないのですが、長くなるのでこの話はまた別に記事にしようと思います。)

さて、このままいくと「実力があれば自信を持つ事が出来る」という結論に達してしまいますね。裏をとると「実力がないなら自信を持つ事が出来ない」ということに。先人達の「どんな時でも自信を持て」という教えが間違っていたかのような結論になってしまいます。人生という道を歩む多くの人々がその道中で「どんな時でも自信を持った方が良い」と感じたのに、その結論が間違っている?そんなことありえるでしょうか。いや、ありえない。(反語)

では実力がないのに自信がある、とはどういう状態が考えられるでしょうか。
私なりに考えてみました。

「実力に対して自信が持てないなら、実力以外の物に対して自信を持てば良いのではないだろうか」それが私が導いた1つの結論です。

そもそも世の中に存在する「実力」というものは、そのほとんどが数値化できないものばかりです。だからこそ自分を客観視して冷静にジャッジをする必要があるのです。
例えばあるミッションに対して「このミッションはクリアできるな」「難しいミッションだけど、きっとクリア出来るだろう」そう思えたなら自信を持っていいでしょう。自分を客観視した結果実力が備わっていると判断出来ているなら、自信を持たないことは実力がない人に失礼とすらいえるかもしれません。
ですが、「こんなミッションやったことないし突破方法も皆目見当もつかないけど俺なら出来る気がする!やったるぞ!」これでは困りますよね。

少し言い方を変えてみましょう。
「こんなミッションやったことないし、今はまだ突破方法も皆目見当もつかないけどしっかりと勉強して準備すれば必ず出来るようになるはず!やったるぞ!」

これならいかがでしょうか。先の文章のような不安感は和らいだように思います。1つ目の文と2つ目の文での大きな違いは、自信をもつ対象の違いです。
どちらの文も、自分の実力が不足している事に対する認識は変わりません。1つ目の文は存在しない実力に無理矢理自信を持とうとしているのに対し、2つ目の文は自分が持つ可能性に自信を持っていますよね。

未来の可能性は誰にも否定出来ません。
「努力さえすれば、俺にだって必ず出来るようになる。」といったように、未来の可能性に対して自信を持つ事は、誰からも批判されるいわれはない事のように思えます。

「自分に自信を持て」という先人達は、もしかしたらこれを言いたかったのではないでしょうか。実力がある人は実力に、実力がない人は自らの可能性に。そう考えると、いつ何時でも自分の心の中に確かな自信を持っていられるような気がしますよね。

ここまで読んでくださった方なら、人間誰でも自信を持つ事が出来る。ということがご理解いただけたのではないでしょうか。(もし、「自分が努力したってうまくいくわけない。可能性に自信なんて持てないよ。」という方はDREAMS COME TRUEさんの「何度でも」という歌を何度でも聴いてください。1万回やってへとへとになっても1万1回目は何か変わるかもしれないんです。ストレート歌詞が胸に刺さるとんでもない名曲です。)

以上、私なりに「自信を持つ」という事について考えてみました。
皆さんも自分に自信を持って、強く願いましょう。

「自分も必ず氷上のエンペラーになるぞ。」と。

 

 

 

 

 

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