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「いじめを傍観していた人もいじめた人と同じだよ」
クラスメイトの間でいじめが起きた時、こんな言葉を言われたことがある人は多いかと思います。「傍観」とはなんでしょうか。
例えば屋外で荷物を無理やり持たせるようないじめがあったとして、その光景がたまたま通りすがったある通行人の視界に入っていたとします。さて、この通行人は悪でしょうか。いろいろな意見が出るとは思いますが、私は「悪ではない」と考えています。
通行人には二人の関係性を知ることができません。
もしかしたら遊んでいるだけかもしれない。
持たされているのではなく「体を鍛えたい」と言ってすすんで持っているのかもしれません。二人のことを知らない第三者が声を上げる事は中々難しいと言えるでしょう。
通りすがっただけの人を責めるのはあまりに酷なように感じます。

ところで皆さんはSNSを活用していますか?
twitter、Instagram、facebook、なんでも構いません。

ふと開いてみると多くの人たちが日夜情報を発信、共有しています。誰もが世界に向けて容易に自分の考えや意思を発信することができる時代になりました。インターネットの発達により私たち個人と世界の距離はグッと縮まったと言えるでしょう。

世界との距離が近くなったことにより様々な情報がより早く届くようになりました。世界の姿がより良く見えるようになったと言い換えてもいいでしょう。
しかし、同時に私達一人一人が世界から見られている時代が来たと言えるのではないでしょうか。私たちが何を考えているのか、何をしてきたのか、世界は見ています。世界と私達が一つの教室に収まってしまうくらい、世界との距離はなくなりつつあるのです。

今、私たちは「たまたま通りすがった通行人」になる事はできなくなりました。誰もが「クラスメイト」になり「傍観していた人」になるかどうかを選択しなければいけない時代が来たのです。

つまり「意思表示をしない」という事が一つの発信になってしまう時代がもうそこまで来ているのです。本人の意思とは関わらず、誰もが当事者となり、発信者となっています。

この事の善悪について、ここで語ろうとは思いません。
ですが、善悪を抜きにした一つの事実として忘れてはならない事だと私は思います。

一人一人に善悪の価値基準があり、一人一人が違った環境の中で生きている今、杓子定規に善悪を判断することは出来ません。善悪を自分で判断しながら世界と付き合っていくことが大切なのです。

世界とは決して恐ろしいだけのものではないはずです。一人一人が本当の意味で正しい判断をして行動した時、世界はとても心強い味方になるでしょう。

世界はあなたを映す鏡です。そしてこれから先の時代、その鏡の前から動くことは当分の間出来ません。

一人一人が人間として成長していかなければいけないと、強く感じています。

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SIEGの願い

「勉強とは、自らが積極的に行わなければいけないものである。」 これが、ジークの基本的な考え方です。
人に言われたから勉強している。
やらなければいけないから勉強している。
これでは、学びは有意義なものにはなりません。 勉強はなんのためにするのでしょうか。
それは、他者を助けるためであると私たちは考えています。
目の前に困っている人がいるとして、
その人の国籍や年齢、性別や境遇、知識量等を加味した上で適切な言葉で適切な対応ができなければ目の前の人を助ける事は出来ません。
そのためには多くの知識が必要です。
だからこそ、たくさん勉強してほしいと思っています。 情けは人の為ならず。
多くの人を助ける事は、
多くの人から助けてもらえる自分を作る事と同義です。
人と繋がる事は、自らの可能性を広げることにつながります。 あなたも自らの可能性を広げ、自らの考える幸せな道を歩んでほしいと願っています。

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