正解かどうかを最重要にしてはいけない

タイトルの通りの記事です。

「努力した過程が大事!」などという話ではありません。
受験の時にどれだけ努力したかを試験官に訴えたところで合否に影響は出ませんから。

ただ、間違え方にも「質」ってもんがあるでしょう、という話です。

例えば「鎌倉幕府の初代将軍は誰?」という問題に対しAさんBさんCさんの3人が答えたとしましょう。

A「源頼友」
B「   」(未記入)
C「みなもとのよりとも」

上記の回答の中で唯一、Cだけが正解となるのが多くの中学の現状です。
Aさんが×でCさんが◯という現状は如何なものでしょう。

もちろん、Aさんだって漢字を間違えていますから◯にすべきとは言いません。
ですが漢字で書こうとチャレンジすることが純粋にリスクを負うだけの行為になあってしまっていることには疑問が生じます。

教育の本質はチャレンジと失敗にあるのではないでしょうか。
その機会を奪うような方針に思えてなりません。

せめて意図は汲んでひらがなで書いた場合と同様の点数(途中点ありの△)にならないかなあ。


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SIEGの願い

「勉強とは、自らが積極的に行わなければいけないものである。」これが、ジークの基本的な考え方です。
人に言われたから勉強している。
やらなければいけないから勉強している。
これでは、学びは有意義なものにはなりません。勉強はなんのためにするのでしょうか。
それは、他者を助けるためであると私たちは考えています。
目の前に困っている人がいるとして、
その人の国籍や年齢、性別や境遇、知識量等を加味した上で適切な言葉で適切な対応ができなければ目の前の人を助ける事は出来ません。
そのためには多くの知識が必要です。
だからこそ、たくさん勉強してほしいと思っています。情けは人の為ならず。
多くの人を助ける事は、
多くの人から助けてもらえる自分を作る事と同義です。
人と繋がる事は、自らの可能性を広げることにつながります。あなたも自らの可能性を広げ、自らの考える幸せな道を歩んでほしいと願っています。

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