お誕生日サプライズ、される才能、する才能

皆さんは誕生日にサプライズとかされたことはあるのだろうか。私はないし、した事もなかった。しかし最近友人のお誘いでお誕生日サプライズに参加した。基本的にははすに構えた性格なので、正直やる意味が分からなかったし、友人の誕生日に企画しようと思ったこともなかった。というより発想がなかった。そもそも誕生日を知っている友人がほとんどいない。そんな私には新鮮だった。カルチャーショックだった。私には企画した友人も企画された友人もとびきり鮮やかに映った。なるほど、どうりで私には思い付かない訳だ。誕生日にサプライズするのもされるのも才能なのだと思った。する側の才能は大きく3つ。
第1に何度か見ていること。自身がされたことがある、友人がやっている、されているのを見たことがある、snsで見たことがあるなどが挙げられる。やられたり見たりしていないとサプライズするという行為自体に馴染みがないため誰かに「やろう」発想にならない。
第2にやれば歓ぶという実感があること。仮に見ていたりやられたりしていても、「急にサプライズされたけどリアクションに困った。」、「急にやったら迷惑かも」、「所詮、仲良しを演出しているだけ」などと思う人は絶対やれないし、できない。
第3に仕掛ける相手を信頼できること。どれだけ1、2の条件を満たしていても友人に対して、「私はこの人を仲良いと思ってるけど、こいつは思ってないかも」と自分と相手との交友関係に自身が持てない人や「私みたいな人が祝っても、、」とか思ってしまう自己肯定感の低い人間はまずやろうと思えないし、思わない。される側の才能は大きく2つ。
第1に感情表現が豊かであること。やはり仕掛ける側も仕掛けた側に対して「歓ぶ」という行為を期待している。したがって「この人は喜んでくれる、そしてその喜びを表現してくれる」と周りに思われている人でなければならない。斜に構えている人間や、感情が表に出にくい人間はターゲットになりずらい。
第2にやはりある程度サプライズに触れていなくてはならない。サプライズに慣れていない人は、まずもって周りにいる人間にサプライズをする人、される人がいない人だ。だとしたら周りの人間に仕掛ける才能がある人がいないため、もう無理である。また、サプライズに対する免疫がないと想定外の出来事過ぎて相手が期待する、「歓ぶ」という反応を返せない。ここまでつらつらながながと述べてきたが、仕掛ける側にも、仕掛けられる側にももっとも必要とされる才能、それは今回私が1番「いいな」と思ったことであるのだけれども、それは素直さだと思う。仕掛ける側は本当に、単純に、純粋に相手が歓ぶことを想定して企画して、仕掛けられる側は本当に、単純に、純粋に歓ぶのである。きっとサプライズを仕掛ける、仕掛けられる人の中にはもっと打算で考える人、義務感や焦燥感に駆られて嫌々やっている人もいるだろう。でも今回参加したのは上手く説明できないけどそういう感じでないと実感できた。即興であったし、お金もかかってない、企画も杜撰だったけど、きっと双方に打算なく、緊張もなく、ただただ素直にやっていたと思う。だからいつか仕掛けられて素直に歓ぶ自信はないけど、企画はしてみたいと思った。こうやって客観的に見るのではなく。

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生徒の学習状況を把握しながら進める「双方向型」の授業スタイルです。授業内容を一方的に伝える受け身の授業は、理解度やスピードの点から考えても能動的授業に劣ります。出来るところはどんどん先に進み、分からないところは質問をして解決する。対面授業でもオンライン授業でも、生徒の顔や様子、学習状況を把握しながら授業を進めていきます。勉強本来の楽しさを伝え、自ら進んで勉強することを可能にしてしまうのが、ジークです。
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